イメトレ、自己啓発、エンターテインメントからギャンブルまで。


by takaichiarata
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実効性と同情心

 新潟県の地震は、他人事ではないと、つくづく思う。被害に遇われたみなさまに、心からのお見舞い申し上げます。

 たぶん、これからが大変なのだろうと思う。自然災害が収まったとしても、そのあとには、日常生活の修復が待っている。これまで以上に大変な時が、被害に遇われた方を待っているのだと想像できる。

 そういうときに、私たちにできることはなんだろう?
 私は、ここしばらく、そのことについて、いつになく真面目に考えていた。で、どうしてもそこから先は、ボランティアの本質に行き着いてしまうのである。
 
 ボランティアの本質…なんていったって、そう難しいはなしではない
 要は、自分自身がいま現在できることを、実効性のある方法で、具体的な形として現すことだと思うのである。
 そう考えてみると、たとえば、私は、地震の被害状況が明らかになるにつれ、直接被災地に向かって、直接的な何かのお手伝いをしたいと、瞬間、思ったのであるが、よく考えてみると、私には、復興を助けるための、特殊で特別な技能があるわけではない。いや、心の問題に関しては、多少の手助けができるかもしれないが、それは、たぶん、いますぐ求められていることではないだろう。
 だとすれば、もし私が、なんらかの義憤や同情心にかられて、被災地に行ったとしても、単純に足手まといがひとり増えるだけで、結局は、本当に困っている人たちをさらに困らせることになるだけになる。

 実は、このことは(つまりこういう思考は)、私が昔テレビの世界にいたときに、一度経験しているのであった。
 そのときの体験から、ボランティアというのは、直接的で実効性のある手段を入念に準備してこそ、はじめて役に立つものであると、身をもって知らされたのである。

 何の準備も手段もなく、単なる感傷や同情だけで行うものは、ボランティアではなく、事故満足でしかない。私は、そう考えるようになった。そして、いま、実際の災害を前にして、そのような考え方が、再び試されてしまったのであった。

 結局、いまの私にできることは、「お金」による援助しかない。義援金である。微々たるものではあるが、それをすることが、現在の私にとって、一番実効性のあるお手伝いなのだろう。
 そう考え、いくつかの機関を通して、わずかながらも、募金をする。しかし、やはり心の中は、もっと何かできることはないのか、と、囁いている。

 うーむ。

 私は、小さくうめきながら、直接募金とは別に、3日前に新聞で知った「ドラえもん募金」に電話して、ダイヤルQ2の有効な使い道にうなずきながら、100円募金をつづけるのである。

 ああ、この「ドラえもん募金」については、記事を読んですぐに、ホームページのトップに紹介しました。よろしければみなさんも、電話してみてください。ダイヤルQ2の有効活用として、とても面白いシステムです。
 この「ドラえもん募金」については、やはり、多くの人がいろんなところで紹介していますね。
 エイミゴパークの掲示板でも、紹介してくれた方もいました。

 技術の有効活用。これについてもちょっと語ってみたいけど、それは、またにしましょう。
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by takaichiarata | 2004-10-28 19:30

幸福な不幸

 新兵器「どこでもパソコン」を携えて、私は現在、猛烈な勢いで本の原稿を書いているのである。何しろポケットに収納できるので、スポンと上着のポッケにこの新兵器を放り込み、ドトールだとかefだとか北欧だとかTopsだとかRAMBOUだとか、とにかく、私がよく行くそこら辺やそこら辺じゃないお店に入って、コーヒーなど飲みながら、おもむろに「どこでもパソコン」を取り出し、携帯電話と接続して、カチャカチャとキーボードを打ちつつ、ぼそぼそと小声で頭の中に流れてきている情景を文章にして呟きながら(私はどうやら原稿を書く時、小さく文章を口で呟いているらしい。ある時、奥さんから指摘されて、はじめて気がついた)、ベストセラーになるであろう原稿を書きまくっているのである。

 そんな外出先でわざわざ原稿を書かなくたっていいじゃないか、と、思われる方も多数いらっしゃるかもしれないが、チチチ(と、指ワイパー)、それは認識が甘いってなもんだ。

 そうでもしなけりゃ、ちっとも原稿書きが終わらないのだよ。ケ、テヤンデイ!

 いま何社の原稿を抱えているのか、ちょっとばかり先ほど、おそるおそる数えてみたら…ああ、あと7社もある!
 1冊書き終わるたびに、新たに依頼が来るものだから、少しも減りやしない。というか、私が真面目にいままで書かなかったおかげで、どんどん積み重なってしまうのである。

 うーむ。これは、いかんぞ。
 と、私は、頭をフル回転させながら、「どこでもパソコン」を、激しく活用するのであった。

 しかし、まあ、こういう悩みは、個人的には不幸ではあるが、本当は幸福なことにちがいない。こんなに仕事嫌いで怠け者の私に、次から次へと本の出版依頼が来るというのは、客観的に見たら、とても幸福なことであろう。ありがたいと、本当に思う。惜しむらくは、もっとパチスロを打つ時間が欲しい、ということである。

 うーむ。
 ジャンジャンバリバリ、スロットでコインを出す時間を作るためにも、ジャンジャンバリバリ原稿を書いて、編集者のみなさんをこれ以上イライラさせないように、真面目に仕事しようと決心する、2004年秋の私なのであった。

 「どこでもパソコン」、現在、フル稼働中!


 赤坂オカルト話のつづきは、また今度(^^)。

 
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by takaichiarata | 2004-10-20 19:33 | 出版

どこでもパソコン!

 キーボードのお店 ★★★ ShopUというところから、携帯電話用の折り畳みキーボードを購入した。

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 いやあ、これが、とてもいい。折り畳んだ状態の時、タバコ2ケースぐらいの大きさで、上着のポケットにするりと収まってしまう。それを広げると、ノートパソコンのものとほとんど変わらないぐらいの大きさのキーボードになるのである。

 何故、このようなものを購入したのかというと、外出時に、携帯メールで原稿を書けないかと考えたからである。いままでにも何回か、外出して時間が空いた時、携帯メールにアイデアや原稿のフレーズを打ち込んだことがあるが、如何せん、携帯メールの文章の打ち込みは、(私には)時間がかかっていらいらする。かといって、外出時に毎回パソコンを持ち歩くのも、結構、面倒くさいものがある(私は面倒くさがりや)。何かいい方法はないかなあ、と、考えていたのだ。

 そんな時、たまたまこのサイトを見つけた。おお!携帯電話専用のキーボードがあるではないか!

 もう、さっそく注文しましたね。

 で、使ってみると…いやあ、これはいいぞ。携帯電話との接続もワンタッチだし、何よりも、ポケットにすっぽりと入ってかさばらないところがいい。携帯にこのキーボードを接続して、メール画面にし、そこに原稿を打ち込む。一回で約1万文字が打ち込めるので、外で手軽にある程度まとまった原稿も書けるってものだ。実際、やってみた。うむ、うむ。満足である。通常のキーボード操作と全く同じなので、思考の流れのまま文章が打ち込める。
 そうやって打ち込んだ文章を、私のパソコンメールに転送し、それを、夜帰宅した後、原稿執筆用エディターソフトに落とし込むと…ウフフフ…見事に原稿の出来上がり。いま、本当にそうやって、(編集者から追い込みをかけられている)本の原稿を執筆している。今度出る本のかなりの部分は、携帯メールから打ち込んだ原稿になるのである。わはは。

 これで、携帯電話とこのキーボードをポケットにしのばせているだけで、どこでも原稿が書ける、ってなもんだ。題して、「どこでもワープロ」…いや、「どこでもパソコン」だな。

 それにしても、携帯電話はすでに「電話」ではなくなってしまったものであるなあ。恐るべき文明の利器である。
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by takaichiarata | 2004-10-15 09:00
※前回までのあらすじ・ナレーション台本風に(笑)

N 私は29歳の時、赤坂にマンションを借りて住んでいた。
  そこは、家賃月50万円のいわゆる高級マンションであった。
  だが、何故か、不動産屋は、月35万円に値引いてくれたのである。

    M(音楽) サスペンス風の曲 FI(フェイド・イン)〜

N 引っ越し当日の夜、私と友人たちは、
  身分不相応な広さのマンションの部屋で、酒宴を開く。

    SE(効果音) 数人の男女の笑い声

N 深夜2時頃。酔いつぶれて寝室で眠っていた友人が、
  青い顔をしてリビングにいる私たちの元にやってきた。
  そして、こう言った。

    SE ギュワーン…というギターの不協和音

友人「(脅えながら)…窓の外から子供が覗いていた」

    SE ドクン、ドクン…という心臓の鼓動音 FI〜

N 怪訝に顔を見合わせる、私たち。
  それは、やがて訪れる、恐怖と疑惑の出来事の前兆であったのである。

    SE 心臓の鼓動音…一瞬高まって…CO(カット・アウト)
    SE キャー…という悲鳴 CI(カット・イン)…



 …うむ。何となく雰囲気が出て来たぞ(笑)。
 そういえば、近頃、ちっとも台本やシナリオを書いてないので、前回のあらすじを台本風に書く、というお遊びでも、ちょっとばかり新鮮な気分になるな。まあ、これは、映像作品のナレーション台本、というよりも、ラジオCMのスクリプトに近いものなんだけどね。こういうもの、うんざりするほど作ってきたのである。

 そう。当時の私は、このようなスクリプトだとか、シナリオだとか、構成台本だとか、ナレーション原稿だとか、CMのコンテだとか、とにかく、そういったものを一晩中書きなぐっていた。もちろん、書きなぐっていたばかりではなく、夜が明けると、時にはロケ現場で撮影を仕切ったり、スタジオ収録でディレクションをしたり、録音スタジオでラジオCMを録ったり、クライアントやスタッフなんかと次回作の打ち合わせをしたり、編集室でアーデモナイコーデモナイと撮影済みのフィルムやビデオ素材を、切ったり貼ったりつなげたり…と、何だか時間がいくらあっても足りないほど、仕事に明け暮れていたものだ。

 いやあ、いま思い出しても、本当によく働いていた。その頃、冗談ではなしに、毎日の平均睡眠時間なんて、たぶん、2時間かそのくらいのものだったはずだ。
 タフだったねえ。
 それもこれも、私がずっと以前からこういう状況を心の中でイメージしていたからなのである。しつこいようだが、現在よりもっと乱暴ではあるが、その当時、私は自己流のイメトレを行っていた。もうひとつ、さらにしつこいようだが、その頃行っていたイメトレをすっきりと洗練してまとめてストーリー化したものが、イメトレ・ドリルであるのだね。
 で、そのひとつの結果が、当時の忙しさを私に与えたのである。私は、そう考えていた。イメトレで私は望ましい現実を作り上げた、と、考えていたわけだ。
 だから、どんなに忙しくて、次から次へと仕事が舞い来んできても、それは私が自分でもたらしたものだから、喜んでその仕事を受けていたし、そのことが、後日、より大きな仕事と収入を私にもたらすことになったのであった。

 つまり、当時の私は、高い家賃を払いながらも、部屋にいるのは、夜中のごく数時間でしかなく、しかもそのほとんどの時間は、前述したとおり、なにがしかの原稿やコンテを書くことに費やしていたのであった。

 ある夜。私は深夜の1時頃、帰宅した。
 ふにゃふにゃのへとへと状態だった私は、浴室に直行すると、バスタブにお湯を張った。でも、私は、なかなか風呂に入ることもせず、リビングのソファで横になったまま、ぼんやりとタバコを吸っているのであった。
 何かの音がした。
 私は、耳を澄ます。
 浴室から、水滴がしたたり落ちる音が聞こえる。
 錯覚だったかもしれない。
 私はそう思い、エイヤと伸びをして、服を脱ぎ捨て、浴室に向かった。
 その時、何かの影が一瞬短い廊下を横切り消えたのを、私は目撃したのであった。
 私は、裸のまま、おそるおそるそのあたりを覗き込みながら、廊下や寝室や仕事部屋を確かめた。
 だが、誰もいない。
 私はほっとして(というか、誰もいるわけがない、と苦笑いして)、お風呂に入ることにした。
 
 浴槽につかりながら、うーん、と、身体を伸ばし、全身のコリをほぐす。
 そして、今夜の仕事の段取り(原稿のアイデア)を考える。

 「きゃははは」
 という子供の笑い声を聞いたのは、その時である。
 それは、浴室の外…室内の短い廊下から聞こえてきた。
 私は、耳を澄ます。
 今度は、ペタペタと誰かが歩く足音が聞こえる。
 錯覚かとも思ったが、確かに聞こえるのである。

 私は、ゾクリと、一瞬で全身に鳥肌がたったような感覚を覚えるのであった。

 突然、浴室のドアのすりガラスに子供のもののような小さな手形の痕が浮かび上がった。それは、湯気で濡れたガラスに手を押し付けて出来たような痕であった。

            …つづく…

 いやあ、スマン。
 また、つづく、になってしまった。
 うむ。次回こそ、完結編を(予定)。
 これもしつこいようだが、このおはなしは、完璧な実話、つまり、ノンフィクションであることを、お伝えしておきます。
 次回をお楽しみに(笑)。
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by takaichiarata | 2004-10-13 04:53 | コラム

V.E.フランクルのロゴス

 V.E.フランクルの本を何冊か、久しぶりに読み返してみた。
 何度読んでも、深い感動を覚える。

 実存主義としてのフランクルの思想・哲学は、それが最も過酷で悲惨な生き地獄の中から生まれたものであるからこそ、なまじな思想・哲学を寄せつけない、圧倒的な存在感と共感、説得力を持つのだと思う。

 (ご存じの方も多いだろうが)V.E.フランクルは、元々はオーストリアの精神科医であった。ユダヤ人である。第二次世界大戦の時、ナチスドイツの「民族純潔主義」により、いわゆる「強制収容所」に送られたユダヤ人の数少ない生き残りである。一説によると、1945年に戦争が集結するまでに犠牲となったユダヤ人の数は、600万人と見積もられているそうだ(600人ではない。600万人である。東京都の人口の半分。但し、繰り返し行われた調査結果によると、もっと多い数字も出ている)。そのうちの約半数が、アウシュビッツで殺されたという。
 アウシュビッツ強制収容所。またの名を「死の収容所」。
 フランクルは、両親、弟、妻と共に、そこに送られた。
 そして、生きて戦争の終結を迎え、強制収容所を出ることができたのは、フランクルひとりであった。父も母も弟も、最愛の妻さえも、みんな死んでいた。フランクルがそれを知ったのは、自分が収容所から出た後である。
 父親は餓えで死に、母親は生きたまま焼かれて死に、弟は収容所内での強制労働中に死に、妻は、ガス室に送られて殺されていた。
 ウィーンに戻ったフランクルは、家族の運命を知らされ、友人の前で泣き崩れてこう言った。

「こんなにたくさんのことがいっぺんに起こって、これほどの試練を受けるのには、何か意味があるはずだよね。僕には感じられるんだ。あたかも何かが僕を待っている。何かが僕に期待している、何かが僕から求めている、僕は何かのために運命づけられているとしかいいようがないんだ」(『フランクル回想録』より)


 フランクルは、それ(試練と運命の意味)を絶望と苦悩の中で必死で追い求めた。そしてたどり着いたのが、

文字どおり無になった人は、まさに生まれ変わったように感じる。しかし、以前の自分に生まれ変わるのではなくて、もっと本質的な自分に生まれ変わる。(『それでも人生にイエスと言う』より)


 という内的な確信であった。
 そこから生み出されたのが、ロゴス(人間の本質的な精神の源)による人生の捉え方である。

「未来には、あなたによって生み出される何かが待っている。人生は、あなたがそれを生み出すことを期待しているのだ。もしもあなたがいなくなれば、その何かも、生まれることなく消えてしまうのである。人生は、あなたがそれを生み出すのを待っているのだ」(『夜と霧』より)


「そうだ。人生に期待するのは間違っているのだ。人生の方が私たちに期待しているのだ」(『夜と霧』より)


 これらの言葉に、フランクルが到達した内的な確信のエッセンスが込められていると思う。

 人は、人生に期待するから絶望する。しかし、人生に期待することを止めると、どんな結果であろうと人生で起こる出来事を受け入れる覚悟ができる。結果は問題にならない。それよりも大切なことは、自分の責任を果たそうと全力を尽くすことである。結果よりも生きる過程そのものノ行為そのものに意識を向けるようになる。
 そうすれば、たとえ途中で力尽きたとしても(たとえ事を成し遂げられず生を終えたとしても)、自らの心の中には、誇りに満ちた精神が残るであろう。そしてその誇りが、人生を有意義に「生きた」ものとするのであるノフランクルは、こう言うのである。

 とはいえ、人は誰だって困難や苦しみからは避けて生きたいと思う。
 フランクル自身、収容所内での最低最悪の地獄の中で、苦しみから逃れたいと願っていた。人の死が日常に転がっている場所でただ生きている毎日の中で、絶望以外の感情を感じることができなかった。
 しかし、そのような中でも、「自分が餓えで苦しんでいるにも関わらず、もっと弱っている他人に配給された小さなパンの切れ端を分け与えたり、死にかけている仲間に最後の幸福感を味わってもらおうと、自分のパンを売り、ジャガイモを買ってその仲間に食べさせたりする人がいた」(同じアウシュビッツに収容されていたルーシー・アデルスバーガーの回想)りするのを見て、フランクルは、人間のロゴスの根本は「勇気、希望、信頼、愛」であることを悟るのである。

 どんな場所でも、どんな環境でも、心の中に「勇気、希望、信頼、愛」を持ち続ける人間がいる。かと思えば、「自分が生き残るためには他人なんか知ったこっちゃない」と考え、他人を貶めても、蹴落としても、自分だけが生き残りたいと願い、そう実際に振る舞う人間もいる。フランクルは、収容所の中でその両者を見て、こう考えるのであった。

「この地上には2つの人種しかいない。品位ある人種とそうでない人種である」(『夜と霧』より)


 長々とフランクルの言葉と思想を紹介してみたが、こうやって改めて書き出してみると、いかなる環境であろうと、偉大な魂は必ずそこにあるものだと、つくづく思ってしまう。
 そして、下世話で下品な魂の持ち主である私なんか、フランクルのような精神に、ただひたすら憧れるだけなのであった。私がよく言う「志と品格」を体現した現実の人間がここにいることに、私は畏敬の念を覚えるのである。

 蛇足。
 フランクルは、どうやら収容所の中でイメトレめいたことをやっていたようだ。『夜と霧』の中に、こんな記述がある。

「突然、私は明るく照らされた、美しくて暖かい大きな講演会場の演壇に立っていた。前にはゆったりしたクッションの椅子に腰掛けながら、興味深く耳を傾けている聴衆がいた。私は語り、強制収容所の心理学について講演をしたのだった」(『夜と霧』より)


 このイメージは、強制収容所から解放されてまもなく、現実のものとなっている。
 恐るべし、イメトレ!(←こう何でもかんでも私の分野に結びつけてしまうことが、私の魂、精神の下劣さを現している)


 何だか、フランクルの思想と哲学をちょっと真面目に紹介したくなって、こんな文章を書いちゃった。お待ちかねの「赤坂のホラー話」は、次回。
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by takaichiarata | 2004-10-08 11:48 | コラム
 赤坂は、坂の街である。
 歩いてみると分かるが、赤坂には、急な坂が多い。つまり、台地だ。この台地に、江戸時代、徳川御三家の一つ、紀伊徳川家をはじめ、大身の旗本、大名屋敷が立ち並んでいた。屋敷町だったわけだ。いまでもその名残は、赤坂には残っている。「政界の奥座敷」とかつては呼ばれた、料亭や飲食店が立ち並ぶ一角から、ちょっとばかり脇道に入ると、かつての屋敷町の面影を残す、閑静な住宅街を見ることができる。
 また、この界隈には、各国の大使館や領事館も多い。そのほとんどが、江戸時代の大身の大名屋敷の跡に建てられている。
 当然、この周辺には、高級マンションなども立ち並んでいるのだが、私も以前、そのひとつに居住していたことがある。
 そこは、K大使館の裏手にあたり、マンションの正面にはD国文化センターという施設があり、横手には、S会館という某流華道の家元が経営する多目的センターがガラスの多い壁面を輝かせている、正真正銘、一等地に位置する、高級マンションであった。そのマンションの正式な家賃は月額50万円であった。

 当時、私はまだ29歳で、バリバリの映像演出家として、ブイブイ言わせながら、業界(の末端)を闊歩していたのであるが、その当時の私の収入からいえば、月に50万円の家賃は、高過ぎず安過ぎず、といった感じで、はっきりいってしまえば、私自身が非常にバブリーな生活をはじめた頃なので、毎月それだけの家賃を支払うことは、充分に可能だったのだが、何故か、不動産屋は、月額35万円の家賃で構わないと言ってきたのであった。

 ちょっとはなしはそれるが、私が何故、こんなにバブリーな生活をすることができたのかというと、それは、イメトレのおかげである。いや、冗談ではなしに、当時はまだ、現在のようにきちんと体系だててもないし、理論的根拠もなくまったく整理されたものではなかったが、私は20代のある時期から、自己流のイメトレを行っていた。それは、現在の私がみなさんにお薦めしているイメトレの原型といった形のもので、非常に乱暴なものではあったが、いま考えてみると、それは、原理的には、現在のイメトレと全く同じものであった。
 その頃私が行っていたイメトレの基本原理は、「想像力を働かせ固定観念を壊すこと」と「願望は必ず実現する、実現させる」という「思い込みの強さ」を基礎にしたものであった。これは、現在の私がよく言うところの、「自己イメージを高め」て「夢を実現する能力を作り出す」ことと、全く同じである。
 要は、私が考えるイメトレの基本は、昔もいまも、全く変わっていない、ということなのであった。変わったのは、それの無駄をはぶき体系化し、多少の理論的根拠を考え出したことぐらいである。

 この自己流のイメトレのおかげであろう(自己流といってもその基礎には、私がCM制作会社でアシスタントの時に徹底的に訓練させられた「イメージを作り出す発想法」のトレーニングがあるので、完全に私の自己流、というわけでもない)、私はいくつかの山や谷、あるいは、紆余曲折はありながらも、基本的には、「売れっ子」の演出家であったし、その売れ具合に見合った収入を得ていたのである。そればかりではなく、この2年後には、今度は港区白金に、億ションを所有することもできたのである(この億ション所有話は、イメトレのおかげ以外に説明つけようがないはなしである。そのおはなしは、気が向いたらまた今度)。
 ついでに言えば(ちょっと宣伝みたいになってしまうが)、当時私が行っていたイメトレを、徹底的に単純化して体系化してストーリー化したものが、イメトレ・ドリルの内容になっている。イメトレ・ドリルの基本テーマは、「想像力を働かせ固定観念を壊すこと」と「思い込みの強さを養い夢を叶える力を内面に作り出すこと」なのである。だから、イメトレ・ドリルは、私が一番バブリーだった頃に実際に行っていたイメトレの復刻版、みたいなものだ(^^;)。このドリルを行うと、誰でもバブリー生活を送れるようになれる…かもしれない。目的を「金銭的繁栄」と「仕事の繁栄」にしぼればね(^^;)。ドリルを実践しながら、目的をそのように決めれば、必ず、実現に向かうだろう。少なくとも、イメトレ・ドリルを私はそう作っている(ははは…ちょっとどころか、思いきり宣伝になってる)。

 ずいぶんと、はなしが飛んでしまった。元に戻そう。

 とにかく、不動産屋からの値引きの提案は、私にとっても好都合、というか、まあ、50万円の家賃が35万円ですむのなら、それにこしたことはないし…というほくそ笑みを、私に与えたのであった。そして、私は、そのマンションの7階の一室(それは、角部屋だった)を借りることにした。

 その部屋は、玄関から入って、すぐ左手に(つまり、外廊下に面して)12畳の洋間(ウォークインクローゼット付き)があり、右手側には収納扉の隣に、浴室と洗面所とトイレ、短い廊下を進むと、左手に、8畳の洋間で、その右手側には、対面カウンター式の約3畳のキッチンがあり、一番奥、東向きに20畳のリビングが配置された、2LDKで約90平米の広さの物件であった。

 私は、不動産屋と契約すると、当時住んでいた神楽坂の古い一軒家のアパートを引き払い、少ない荷物を友人や後輩たちと共に運び、その夜は、新しいバブリーな新居で、ささやかな酒宴を開いたのである。
 私はそれほど酒は強くはないのだが、友人や後輩たちは、とにかく、酒好きが多く、ましてやそれが、タダ酒なら、「飲んだら吐くな、吐くなら飲むな」という、クダラナイ標語ともいえない標語を呟きながら飲み続ける人間たちばかりなので、あっという間に私の新居は、阿鼻叫喚酒池肉林の様相を呈するのであった。

 飲み続けること、数時間。
 深夜2時を過ぎた頃である。

 酔いつぶれて、玄関脇の部屋に運び込んだベッドで寝ていた友人が、青い顔をして、リビングでまだ飲んでいる私たちの元にやってきた。
 そして、
 「窓の外から、子供が覗いている」
 と、言った。
 窓の外と言っても、外廊下に面した部屋だし、風を入れるために窓を開け放していたのだから、誰かが外から覗いても、少しも不思議はない。
 そう言う私たちの言葉に首を横に振り、友人はこう続けるであった。
 「この部屋、7階の角部屋だよね。子供は、外廊下の向こう、つまり、部屋もなにもない方向に歩いて消えたんだよ。外廊下の向こうに消えるということは、7階から外に飛び下りなくちゃ無理だよ
 私たちは、一瞬顔を見合わせたが、すぐにはやしたてた。
 「そりゃ、酔っ払って、夢でも見たんだろ」
 友人は、そんなことはない、実際に子供が窓の外から覗き込み、目が合うと、すーっと廊下の向こう側(廊下の途切れた方向)に消えた、と、強行に言い張った。

 …と、ここまで書いて、恐くなってしまった。
 いやあ、夜中にこんなはなしを書くもんじゃない。なんだか、いま、私の部屋(この部屋も、外廊下に面しているのだ)の外から、誰かが覗き込んだような気がしたぞ(実際、窓を換気のために少し開けているし)。

 うーむ。つづきは、どうしよう?
 
 実は、この友人の見たものは、錯覚でもなんでもなかったことが、後から分かるのであるが、その時には私も、何度かの奇妙でちょっと恐い体験を(この赤坂のマンションの部屋の中で)してしまったのである。その体験の顛末、…また今度。スマン。いやあ、本当にちょっと背中がゾクゾクしてきた。ちなみに、これ、100パーセント実話ね。

 はなしはがらっと変わるが、先日、同文館出版から連絡が入った。
 1日7分間願望実現イメージトレーニングが、韓国で出版された、という連絡である。これで韓国語版の韓国での出版は、10日間イメージトレーニングに次いで、2冊目になった。
 うむ。韓国のつぎは、あそこの国だな。打倒!ハリー○ッター!
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by takaichiarata | 2004-10-04 04:03 | コラム

あっ・・・

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缶切りがない!(T_T)
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by takaichiarata | 2004-10-02 00:06

ただいま執筆中

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原稿執筆部屋(自宅外の秘密基地)でカンヅメ中。
私の執筆道具。愛用のパワーブックとマルボロとポストイットと秘密のアイデアノート。

あー、腹減った。夜食にしよう。
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by takaichiarata | 2004-10-02 00:04