イメトレ、自己啓発、エンターテインメントからギャンブルまで。


by takaichiarata
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ:自己啓発( 7 )

 一昨日、ワークショップを行った。
 今年最初のワークショップである。

 過去、2回のワークショップを行ったが、今回は、ちょっとばかり考えることがあり、前2回のものに比べると、よりシンプルな方法論のものになった(と、思う)。

 実は、今回のワークショップで前半に行った「人生を物語に例えて、主人公である自分の過去・現在の履歴(習慣、癖、口癖、思考の方向性、他人からの影響…等)を分析し、そこから理想の未来の自分を作り出す方法」には、ネタ元がある。

 それは、自己成長系ファンタジー小説(「魔法の国ザンス」シリーズだとか、「ベルガリアード物語」シリーズだとか、「十二国記」シリーズだとかね)である(^^;)。

 私はファンタジー小説も、ミステリーと同じぐらい好きで、よく読んでいる(いや、いた。最近は、なかなか面白いのがなくてさ)のだが、「主人公がいままでの自分を振り返り、そこから新しい自分を作り出していくことで、人生の冒険に勇気を持って挑めるようになり、結果、人生を自分の手で切り開いていく」という、この手の物語ではお馴染の設定のストーリーを読むたびに、これってイメトレで理想の自分をイメージしながら、人生そのものを肯定的に「自分の力」で変えていく過程と、ほとんど同じじゃん、と、思っていたのである。

 ならば、と、私は思いましたね。
 人生そのものを「自分だけの冒険小説」と仮定して、そこで物語を生きる主人公である自分自身というキャラクターが、過去と現在の自らの性格・性質・行動パターン等を、きっちりと分析しながら、それを土台にした理想の自分という新しいキャラクターをイメージすることで、より肯定的な心のありようと、それに伴った「行動力」が身につけられるのではないか…いや、身につけられるであろう、と。

 で、そのための具体的な作業に関する方法を考えてみたら、この方法論そのものが、映画やドラマのシナリオで、キャラクターを創造する過程と非常に似通っていることに気づき、私は思わず、こりゃいいや、と、ヤブニラミ的笑みを浮かべたのであった。

 その新しいメソッドを実際に50人の参加者のみなさんに体験してもらったのであるが、どうも、なかなか好評であった。

 当たり前である。
 だって、このメソッドは、人間の成長過程(自己実現の過程)における生物学的社会心理における無意識の発達過程をトレースしたものであるのだから。

 え、言っている意味が分からない?
 すまん。私にも分からん(爆)。
 ちょっと難しい言葉を使おうとしただけの、コケオドシの文章だから、あまり気にしないように(笑)。

 えー、もっと簡単に言えば、要は、人間が子供から大人になる過程においての、自我の芽生えの時期に、環境や周囲からの有形無形の働きかけで、無意識に自分の中に形作った「自己の行動パターン」を客観的に分析しながら、そこから否定的な要素を肯定的なものに作り替えることで、それを「理想の自分」というキャラクターに託し、観念的ではない肯定的な行動力と、思考力と、勇気を持とう…というところに、このメソッドのキモはあるのである。

 え、これでも分からない?
 じゃ、この説明なら、どうだ。

ありのままの自分を(好き嫌いを別にして)、客観視しながら、新しい肯定的な自我を作る方法


 ああ、やっと分かっていただけましたか。
 こういうのって、説明するのが難しいんだよね。
 実際に体験すれば、一発なんだけどね。

 とにかく、そういう新しいメソッドを持ち込み、そこから発展させたいろんな作業を、みなさんにやってもらったのであった。
 何通かの個人的な感想メールや、掲示板での書き込みを読むかぎり、どうやらみなさんの役に立ってくださっているようだ。

 でもね。ひとつだけ言わせてね。
 これは、ワークショップで何度も強調したことだけど、知識は実践してはじめて本当の力になる、実践してはじめて自分の生き方に役立つ、ということを、是非、忘れないようにして欲しい。>参加者のみなさまへ

 知識を得ることは、誰にでもできる。
 でも、思ったこと、一度決めたこと、決心したことを行動にうつすことは、誰にでもできることじゃない。ここには、(これもワークショップで話したけど)勇気がいる。

 ワタシハ コンナニ ホン ヲ ヨンダリ セミナー ニ サンカ シタリシテ イッパイ マナビマシタ。 ホラ ワタシ ハ コンナニ チシキ ガ アルヨ。 スゴイ デショ?

 こんな頭でっかちのヒトには、なってほしくない。
 問題は、知識の量ではなく、得た知識や体験を、自分でどうやって昇華し、それを自分の生き方に結びつけていくのか、ということなのである。

 そして、今回のワークショップに参加された方は、少なくとも、「参加しよう」という「決心」をして、実際に会場に足を運んでいただけた方々である。それだけで、すでに、「得た知識を行動に結びつける」覚悟と勇気を持とうとしているわけだ。
 あとは、それをリアルな生き方の中で、いかに行動に結びつけていくのか、という問題になってくる。知識を行動に反映させる、肯定的で積極的な心のありようを、是非、持ち続けてほしいと、私は願うのでありますね。

 準備、時期、勇気、行動…なのであるよ(^^;)
 そして、理想の夢と欲望の違いについて考えることも、大事だよ。

 最後になったけど、参加してくださった大勢のみなさま、本当にありがとうございました。石川県や広島県や岡山県や大阪や静岡県や…とにかく、遠方からもわざわざこのワークショップに参加するためだけに来てくださった方も沢山いて、本当に、嬉しく思いました。

 心から、ありがとう。
 運営を手伝ってくれたスタッフのみんなにもね。
[PR]
by takaichiarata | 2005-05-01 23:57 | 自己啓発
 新しいメルマガを発行するか否か、私はさんざん考えた。
 夜空を見上げながらジージャンのポケットに両手を突っ込み、タバコを口の端にくわえ、紫煙をよけるため目をすぼめつつ(このあたりハードボイルドを気取っているのである)沈思黙考すること2時間18分(ウソだけど)、私は決めたのでありました。

 みなさんお待ちかねの新しいメルマガが、ついに創刊されます!
 ぱちぱちぱち!

 メルマガのタイトルは、

ひらめきをお金に変える発想トレーニング


 としました。

 詳細は、こちらのページをご覧ください。誌面サンプルと誌面コンセプト・内容の紹介をしております。

 現在、まぐまぐで発行申請中。でも、もう登録はできます(たぶん^^)。もちろん、無料メルマガね。

 今度のメルマガは、精神の働きを現実的にどのように働かせることで、それがリアルな人生に還元されていくか…まあ、大げさに言えば、このような意図が隠された内容のものになるでしょう。てっとりばやく言えば、イメージの創造とひらめきの技術で豊かな人生を作っちゃえ!…てことです。はい。

 てなわけで、今回のメルマガは、精神世界バリバリ大好き系の人には、興味を持てない内容になります。でも、ビジネスを通して豊かな人生を送りたい、という人には、是非、読んでいただきたい。

 で、このメルマガを読みつつ、ピックアップ・ドリル【お金篇】を受講すると、パーフェクト!(このあたり宣伝ね)。いや、真面目なはなし、今回のメルマガは、ピックアップ・ドリル【お金篇】の基礎篇、という位置づけになるかもしれない(ドリルそのものは、万遍なく中級から上級までのイメトレと発想トレーニングをちりばめている)。

 正式にまぐまぐから発行申請が降りたら、大々的にHPでも告知しますが、とりあえず、先走り情報として、ここでお知らせしておきます。もちろん、(先走って)購読予約登録してくださっても構わないコトヨ。

 いきなりやる気全開モードに突入のわたくしなのでした。

 追記
 シェリーさん、TUKAKOさん、コメントありがとうございます。こういうわけですので、ご期待に添えられるよう、真面目に発行をしたいと思います。
 
 
[PR]
by takaichiarata | 2005-03-22 17:31 | 自己啓発
 人生の「真」の幸福は、どのようにして手に入れたらいいのだろうか?
 この命題に対し、いままで多くの(本当に多くの)人々が、それぞれの立場から興味深い考察をしてきた。

 アドラーは、「人生の幸福は権力の追求によって得られる」と考えた。
 フロイトは、「人生の幸福は快楽によって達成できる」と考えた。
 V.E.フランクルは、「幸福の定義は達成感である」と考えた。

 たぶん、この3人の言葉は、真理の一面をついたものだと思う。
 しかし、私個人の考え方を言えば、フランクルの思想が一番しっくりくる。誰もが、よく考えてみれば、そのとおりだと同意するだろう。何もしないで幸福になれると考えるオメデタイ人は、そう沢山いるもんじゃない。時にはいるかもしれないけど、大多数の人は、何かを目指し、そこに到達しようと人生にアクションを起こす過程で、「幸福」というものは生み出されていくと、考えているはずだ。
 そして、この考え方は、正しい。

 アクションには、結果が伴う。その結果が好ましいものであっても、あるいは、そうではなくても、その個人が人生になんらかの目的も持ち、その目的に向かって生きようとすることが大事なのであって、こういう人生の大切さを知っている人は、結果がどのようなものになろうとも、必ずその達成感によって、人生に幸福を感じるのである。

 だが、人生にアクションを起こすことの大切さを分かっていながら、どうしてもそれをできない種類の人々がいることも確かだ。その原因の大部分は、たぶん、目標がないことにあるのだと思う。明確な目標がなければアクションの起こしようがない。そこに立ち向かう楽しみも、その目標を達成する喜びも感じることはできない。自分の可能性を発見することもできないし、自分の価値を自分で信じることさえ難しくなる。

 フランシス・ベーコンの言葉に、こんなものがある。
 「人の運命を形成する鋳型は、主としてその人自身の中にある」

 現実の自分が、ひょっとしたらなれたかもしれない自分のことを考えて、悲しい微笑みを浮かべることのないよう、どんなことにも断固として最善を尽くす生き方は、やっぱり美しいものだと思うのである。
 
*ここからちょっと宣伝っぽくなってしまうが…

 今週からスタートしたピックアップ・ドリル【お金篇】。この講座の目的は「人生にもっとお金を。もっと豊かさを。もっと幸福を」というものであるが、底流にあるのは、上記で記した「幸福の定義は達成感である」という思想なのである。人生に経済的豊かさをもたらす体質作りと目的作り、そして、それを現実化させるためのアクション力と実際的な発想力が、この講座で自然に身に付けることができるはずだ。いや、自信を持って言い切ってしまうが、身に付けることができるばかりでなく、実際に望ましい経済力を(しかも、幸福感を伴った)持てるようになるだろう。
 なにしろ、このピックアップ・ドリル【お金篇】は、フランシス・ベーコンとV.E.フランクルの思想を下味にしたスープの中で、タカイチアラタの実践イメージトレーニングという具材を煮込み、仕上げに企画のプロが実践しているひらめきの発想法をまぶした、実に豪華なメソッドなのだからね(笑)。
 すでに、予想以上の方々に、受講していただいている。第1週目の配信が今日終わったばかりであるが、まだまだこれから、本格的な「航海」ははじまるのである。期待していてください(と、受講生の方々へのこれはメッセージです^^)。
[PR]
by takaichiarata | 2005-02-19 01:18 | 自己啓発

ハスラー

 「お前は、負け犬だ」
 「俺が? 何を言ってやがる。俺ほど技術と才能を持っているヤツはいないぜ」
 「分かってないな」
 「何を分かってないというんだ」
 「勝負は、技術と才能で決まるんじゃない」
 「ハ! 技術と才能以外に、何があるっていうんだ。分かってないのは、あんたさ」
 「いいかい、ボウヤ。お前はミネソタ・ファッツには絶対勝てない。何故なら、お前にはないものがファッツにはあるからだ」
 「俺にはないもの? ああ、確かにファッツは、俺にはないものを持っているな。おいぼれだ、ってものをな」
 「よく聞け、ボウヤ。お前になくてミネソタ・ファッツにあるもの、それはな、人間性だ。彼は決して最後まで勝負を諦めない。お前のように、勝負の途中で、負けることに対する理由を考えたりしない。お前は、勝負も終わってないのに、もう、負けた時の理由を探している」
 「俺が? 負ける理由を探している?」
 「そうだ。お前は、負ける理由をいつでも探しているんだ。だからこそ、お前は負け犬だと言うんだ」

 うーむ。なかなか味わい深い会話ですなあ。
 この会話、1961年のアメリカ映画「ハスラー(主演:ポール・ニューマン)」の一場面である。(会話の意訳は私がやっているので完璧に正しい翻訳ではありません)

 ポール・ニューマン演じる、若き天才ハスラー(ビリヤード・プレイヤー)エディが、年老いたベテラン・ハスラー「ミネソタ・ファッツ」と、賭け試合をするのである。上記の会話は、その立会人である地元のギャングの親分とエディの会話だ。

 実は、私は、この映画、はじめて観たのである。ポール・ニューマンは好きな俳優で、出演作品はかなり観ているし、好きな映画も沢山あるのだが(「明日に向かって撃て!」だとか「スティング」だとか「動く標的」だとか「スラップショット」だとかね)、「ハスラー」はタイミングが合わず、いままで観ていなかった(でも、25年後に作られた「ハスラー2」は観ていた^^)。それが、先頃、スカパーで深夜やっていたのである。

 で、やっと観ることができましたよ。
 いやあ、面白い映画であった。
 それ以上に、映画のあちこちに散りばめられたシャレた会話が、楽しかった。
 で、上記の会話、これ、ギャンブルや勝負事以外にも、いくらでも応用できそうでな言葉ですな(笑)

 「負け犬」も「勝ち犬」も、結局は、ほんのちょっとした違いの差なのである。
 そういえば、「負け犬のなんとか」なんていう本も売れているようだが、ここで言う(ハスラーで語られている)「負け犬」とは、言葉の定義とか概念が違うんじゃないのかな? 読んでないからよく分からないけど。

 とにかく、負け犬でも勝ち犬でもいいから、自分の人生を自分で作り出そうとしている人は、みんなエライのである、と思う、今日この頃なのであった。


 2月14日からはじめるピックアップ・ドリル【お金篇】、とても多くの方に申込んでいただいている。いままでにないペースで、お申し込みを希望される方からのメールが届いている。
 言い方は悪いけど、この講座は「勝ち組(犬)」を作るためのもの。言い方は悪いけどね(^^)。
 今回、教材を作るにあたって、一番気をつけたのは、「絶対に抽象的で観念的なものにしない」ということである。
 つまり、観念的で抽象的な理屈や言い訳を徹底的にはぶき、徹頭徹尾「具体的で実際的」なトレーニングのみをプログラムした、のである。
 だから、受講してくださる方に、損はさせない自信があるし、そればかりか、本当に満足していただけるだろう、と思う。それを真面目に毎日実践すれば、必ず、自分の人生の中に、金銭的な豊かさと幸福が訪れるようになるだろう。勝ち組(犬)人生を送れるようになるだろう(^^)。

 私は、自信満々なのである(笑)。
[PR]
by takaichiarata | 2005-02-08 18:01 | 自己啓発
 金銭的な繁栄は、人生の中で必要な要素のひとつだと思う。
 しかし、金銭的な繁栄=人生の成功、ではないことも、確かだ。
 要は、身の丈にあった金銭的な繁栄を、自分の人生に築くことが大切だと、私は思うのである。

 なんだってこんなはなしをするのかというと、どうも最近、単純に「稼いだモン勝ち」的な価値観が、世の中に跋扈しすぎているような気がするからである。稼ぎたい人はいくらでも稼げばいいのだが、それを、万人に等しく当てはめられても困るのである。

 人間の価値は、財布の中身の重さにあるのではない。
 人生の成功は、金銭的豊かさとイコールではない。
 それは、単に、人生の一要素でしかないのだ。

…「社会というものは、人間の営みの集合体なの。つまり、その社会を成り立たせている人間の意識の方向性が変わることで、社会的な価値観や仕組みそのものが大きく変わってしまう、ということ。
 あたしは、いま、21世紀の日本で、恵まれた生活をしているけど、ひょっとしたらこの先の何十年後には、もっと素敵な未来社会が来るのかもしれないし、あるいは逆に、とても最悪な暗黒の未来がやって来るのかもしれない。それは、誰にも分からないこと。
 でもね。ひとつだけ言えることは、社会的な仕組みが決まっているから、その仕組みを障害と考えて、自分の人生をその中に埋没させるようなことは、絶対にやっちゃいけないことだと思うの。
 だって、社会がどうなっていくのかは、結局は、その社会を成り立たせている自分たちひとりひとりの責任であるのだからね。
 どのような社会的な障害によって、自分の人生が決定されているように感じ、またそれを運命だと感じていようとも、世の中は、その運命や障害に正面から挑んで、戦いつづける人間にだけ、幸運を運んでくるのだと思うよ。
 社会が悪いから自分の人生は浮かばれない、だとか、自分が運に見離されているのは、世の中が悪いからだ、なんて言い訳は、結局は、人生を自分で切り開く勇気のない人間が自分を甘やかすために使う、ばかげたたわごとでしかないのよ」
 「そんなものですか」
 「そんなものなの。人は、自分の人生は、自分で切り開けるように出来ているの。運命なんて言葉、信じちゃいけないの。ましてや、自分が生まれ落ちた環境を、人生を諦める言い訳に使っちゃダメ。
 人が人生に希望を持ち、その希望を実現させようと思う時、それがどのように過酷な状況にあったとしても、人は、勇気と挑戦する心を抱いて行ける。
 人生に成功する、ということは、キミが人生に目的を持ち、その目的を実現させるために生きる過程そのものにあるの。それは、人生に勇気を持つことだから、例え結果的に目的が達成されなくても、つまり、キミが抱いている希望が現実にならなくたって、キミは、そこに向かって挑みつづける限り、キミの人生は成功したことになる。
 人生に何を生み出したか、ではなく、人生にどう挑んだのか、ということが、一番大切なことだと、リョウちゃんは思うな」
 「つまり、どのように過酷な運命にあっても、その運命に自分なりのやり方で挑戦することが大事、ということなのですね」
 「そういうこと」
 と、あたしは言った。
 キヨモリヒロシくんは、考え込んでいた。
 だから、あたしは、こう続けたのだ。
 「それにね、キヨモリヒロシくん」
 「はい」
 「人生で一番楽しいのは、物事の結果ではなく、その結果を出す過程だと思うな。いろいろな面白いことや、楽しいこと、学ぶべきことや、心に染み入る出来事は、いつでも、それを目指して歩いている途中にあるの。
 これは、旅と同じね。
 旅の目的地に行くことが最高の喜びではなく、そこに行くまでに出会う、様々な出来事の中に、人は、旅の楽しさを見いだして行く。
 あたしなんかさ、ライブ活動なんかでしょっちゅういろんな地方に行くけど、それぞれの旅の途中で出会う、いろんな人との触れ合いとか、予期せぬ出来事に、いつもあたしの心が喜んじゃう。
 でも、もし、目的地だけしか見えないと、その途中のヨロコビを知ることは、決してないと思うの。結果を求めるのも大事だけど、一番面白いのは、やっぱり、過程でしょ。そう考えると、自分が一生懸命に人生を変えようと決意するその心自体が、とても重要なことになるのだと思うよ。そして、その決意した勇気こそが、キミの人生を成功と呼ばれるものにするわけ」
 そう言って、あたしは、ウインクした。
 ウインクしたって、キヨモリヒロシくんはあたしの頭の中にいるのだから、見えないんだけどね。ちょっと格好つけてみたかっただけ。

 あなたのまわりでいいことが起こるイメージトレーニングより


 いやあ、随分長い(自著からの)引用だけど(笑)、まあ、私の言いたいことは、このシークエンスで語っているヤマギシリョウちゃんの言葉に集約されるのである。(あ、この本の中で、ヤマギシリョウちゃんは、もっといっぱいいっぱい、いいことを言っているから、みなさん、是非、読んでね。はい、これは、宣伝ね^^;)

 人生の成功とは何か?
 結局は、その人が、自らの生き方の中で見つける価値観によって決定される、ということである。一義的な、「稼いだモン勝ち」的な声高な意見は、時として、他人に対し無責任な人生の価値観の押しつけを強制していることになると、私は思うのであった。
[PR]
by takaichiarata | 2004-09-14 17:59 | 自己啓発

真面目な自己啓発的発言

 先日の私の記事に関して、フラワーさんからこういう質問がコメント欄にあった。

「目の前で起こっていることを判断しない」
絶望に見える状況も希望は隠されているってことでしょうか?


 この件に関して、少しばかり詳しく、私の考えを述べておこうと思う。フラワーさん、この記事を回答の代わりとさせてください。


 まず、「目の前で起こっていることを判断しない」という意味について考えてみよう。
 一言で言ってしまうと、これは、「物事に対する主観的な判断はしない」ということを意味しているのだが、これは、こう言い換えてもいいだろう。

目の前に起こっている事実をありのまま受け入れる


 そんなのあたりまえじゃん、何をいまさら…と、思われた方もいると思うが、実は人間というのは、なかなかそうはできないものなのだ。
 えー、何か具体的な例を出そうと思ったけど、こんな文章があるので、それを紹介してみよう。ここに書かれていることで、「物事に対する主観的な判断はしない」→「目の前に起こっている事実をありのまま受け入れる」ということの意味が、よく分かるだろうと思う。
 

…「主観的な感情を想像しない…どういう意味ですか?」
「さっきもおはなししたと思うけど、現実と現実を受け止める自分の心の揺れ動きは、全く別のもの、という意味よ。つまり、どのような現象であれ、目の前に現れる出来事は、単なる客観的な現象でしかないのにも関わらず、人間は、それを自分の心の中で、勝手に推測したり、想像したりして、感情という主観を付け加えてしまう。そして、その付け加えられた感情というものは、極めて主観的なものであって、それは、自分自身が培って来た固定観念、つまり、生きる習慣によって決定されていく。だから、感情には、客観的な要素がないわけよ。言い方を変えると、全ての人が、同じ出来事に対して、同じ感情を持つことはあり得ない、ということ。例えばさ、キミが、仕事で嫌なお客さんの用事を言い付けられたとするわよね」
「ええ、そういうこと、よくあります」
「でもそれは、客観的に見れば、つまり、現実は、ひとりのお客さんから用事を頼まれた、ということでしかないわけでしょ」
「…はい、そうですね」
「だけど、キミは、そこに『嫌な』という感情を付加してしまう。それは、たぶん、そのお客さんがいままで散々キミに対して、横柄な態度を取ったり、無茶な要求を何度も突き付けて来たことを繰り返して来た結果、
 その客=嫌な客
 という、図式がキミの頭の中に自動的に出来上がり、そのお客さんに用事を頼まれた時、
 その客に用事を頼まれた=嫌な客に嫌な用事を頼まれた
 と、キミの心は無条件に反応してしまったことによる結果なわけなのよね。
 単純に『お使いを頼まれた』という事実が一人歩きして、『嫌な客』+『嫌な用事』という具合に、キミ自身が頭の中で勝手に作り上げた感情によって、キミの気持ちや行動を否定的な方向に向けてしまう、ということね。分かるかな?」
「なるほど。確かにそんな気がします」
「だけど、よく考えてみて欲しいのだけれど、キミが嫌な客だと思っているお客さんは、別の人にとってみれば、決して嫌なお客ではなく、とても愛想が良くて好感の持てる客である場合もあるわけよね。
 その感じ方、つまり、主観の違いはどこから来るのかと言うと、ただ一つ。過去の経験から作られてしまった、自分自身の固定観念から来るの。
 ということは、事実、というか、目の前に起こっている現象というのは、結局は自分自身の感情のフィルターを通してしか体験することが出来ないのだから、自分の固定観念を壊すためには、まず、その現象そのものに、何の感情も加えず、ただ集中して観察し、それを体験してみることが、大事になってくるのよ」…【「あなたのまわりでいいことが起こるイメージトレーニング」タカイチアラタ著/PHP刊※9月10日発売です。よろしく(^^;)/より引用(笑)】


 いかがでしょう。とても分かりやすい説明ですね(笑)。

 まあ、つまり、「目の前で起こっていることを判断しない」ということは、人間と言うのは、その人間が培った過去からの経験や言動の積み重ねで作り上げられた精神的な視野と固定観念からしか、物事を評価できないので、常に偏った主観を持ってしまう。だから、意識的に判断(批判能力=自我1)を停止することで、その出来事の本質を感じてみよう(=自我2を働かせる)、ということなのである。

 先日の記事に書いた女子柔道の阿武選手のエピソードは、「自分の負けを受け入れられず、その結果、負けた事実そのものから目をそらそうとしたことで、視野が狭まり、現実が悪循環に陥った。しかし、一旦、負けたという現実を受け入れ、過去を認めたことで、精神的な視野が広がり、それが心に良い影響を与え、課題だった、精神的な強さを持つことができ、それがオリンピックの場で結実した」ということを現している。

 え? 言っていることが、逆じゃん。阿武選手は「負けたという現実を受け入れた」のだから、目の前に起こったことを判断していることになるじゃん…と、これを読んでいるあなた、いま、思いましたね?

 そんなことはないのである。

 「負けたという現実を受け入れた」ということは、客観的な(過去の)出来事を何の評価もせずありのまま認めたことであり、それは、感情の伴った判断(阿武選手の場合は、「世界一の技術と強さがありながら、オリンピックでは勝てないのはおかしい、認めたくない、思い出すのも気分が悪い…」という否定的な感情の働きによる判断)を、心の中で放棄した、ということになるのである。いや、放棄したというより、感情の伴った過去の出来事に対する評価を、それは事実として見ることが出来るようになった、と言った方が、たぶん正しい。

 どちらにせよ、阿武選手は、過去の敗戦を認めることで、はじめて、目の前に起こっていることを判断しなくなった、ということだ。

 ここまで説明すれば、フラワーさんが言う「絶望的な状況」ということに対する心の持ち方が分かるのではないだろうか?

 誰もが現実の中で「様々な状況」を経験する。しかし、そこには、「絶望的」な状況というものは、実は、存在しないのである。「絶望的」と感じるのは、単なる主観の問題でしかなく、いま現実に起こっていることに「絶望」を感じるのは、その人間の心のありようが否定的な方向に向いていることで起こる、「主観的な感情」でしかないわけだ。

 つまり、自分の心が何を求め、どこに向いているのか、というところから生じる「現実に対する判断」と「感情」によって、それが「絶望的」に感じたり、「希望」を感じたりするわけだ。

 言葉のレトリックのように感じるかもしれないが、人生を肯定的に作る、ということは、自分の心のありようの方向性をどの方向に向けるのか、というところで決定されていくものなのである。

 このブログのライフログで紹介している「夜と霧」の著者のV.E.フランクルの思想と言葉が、たぶん、ここでいま私が述べていることの正しい理解につながると思う。

 
「すべては、創造性を発揮し、言葉だけではなく行動によって、生きる意味をそれぞれ自分の存在において実現するかどうかにかかっているということです」
「むしろ重要なことは、自分の持ち場、自分の活動範囲においてどれほど最善を尽くしているかだけだということです」
「根拠が何もないということが、決断の根拠になるのです。この決断を下すとき、私たちは、無の深遠にさしかけられて宙吊りになっています。けれども、この決断を下すと同時に、私たちは超意味の地平にいるのです」
「我々が人生とは何かを問うのではない。我々のほうが人生から問われているのである」(V.E.フランクル「それでも人生にイエスと言う」より)

※V.E.フランクルは、第二次大戦中、ナチスによる強制収容所に家族揃って強制収容された。その中で妻と二人の子供を殺され、人間の極限の状態を体験したが、その中から「人生に対する肯定的な人生観」を確立し、戦後、それがフランクル心理学として結実した。


 私は、こう思う。

 どのように「絶望的な状況」を現実の中で感じていたとしても、それは、個人的感情というフィルターから現実を見たことによる、単なる主観的な固定観念でしかない、のだと。

 人生を望む通りに生きようと願い、それを現実に望むのであれば、どのような結果が起ころうと、とにかく、言葉だけではなく、現実的な行動が必要なのだ。その目的に向かった行動と未来への肯定的な希望がある限り、現実の中で困難にぶつかったとしても、必ずそれは打開できるだろうし、そのための心のありようを作ることができるものである。


 さて、フラワーさん。あなたに対する個人的な回答を書きます。
 人が人生に何かを求めるのなら、その目的を実現させる能力はもちろんのこと、決してあきらめない行動力が必要になります。例え現実がどんなに困難に見えて「絶望」を感じたとしても、それは、あなたの心の主観でしかない、ということを、よく知っておいてください。
 希望は、あなたの中にあります。そして、希望をどんな時でも持ち続けているのなら、それは、現実の中で、あなたにとって最適な形で、形作られるでしょう。
 そのためには、「目の前にあることを判断しない」という心の訓練が必要になります。ありのままにものごとを見る。それを自分で受け入れる。この繰り返しが、人生を肯定的にしていくものなのです。
[PR]
by takaichiarata | 2004-08-25 02:39 | 自己啓発
 ポケットの中でウルトラマンのテーマソングが流れている。携帯電話が着信をお知らせしているのだ。
 私は乗っていたマウンテンバイクを止め、ポケットから携帯電話を取り出す。
 「もしもし」
 「廣済堂出版のイトーです」
 「あ、どうも(ち、もう電話が来たか…と、思っている)」
 「タカイチさん、その後、いかがですか?」
 「いやあ、毎日暑いですけど、元気ですよ」
 「いえ、そうではなく、原稿の進捗状況ですよ。そろそろ7月も終わりですからね」
 うむ、確かに7月も終わりである。
 「原稿、ずーっと楽しみに待っているんですよ」
 「ははは…」
 と、私は笑ってごまかし、ブチッと電話を切り、再びマウンテンバイクに跨がって夏の夕方の街を駆け抜けるのであった。

 廣済堂出版のイトーくんと言えば、いまをときめく浅見帆帆子さんの担当編集者でもあるのだが、私の担当編集者でもあるのだ。
 しかし、浅見帆帆子さんと私が決定的に違うのは(本の売れ行きは別にしてね。もちろん、浅見帆帆子さんの本の方が売れている)、私は原稿をちっとも書かない、という点であろう。いや、自慢しているわけではなく、反省の意味も込めて、私は堂々とこうやって自らの怠惰さをここで披露しているのである。(別の言い方をすれば、単なるネタにしているのでもあるが)
 いや、本当に反省はしているのだよ。
 実際のはなし、原稿を1年も待たせてしまっていることに対して、本当に申し訳ないと思っているのだ。
 だからいま私は、自宅から離れた原稿執筆部屋(別名:たぬきの洞窟)に籠って何とか原稿を完成させようと、鼻くそをほじほじしながら、昨夜は男女サッカー五輪代表壮行試合を観戦しつつ、頭の中では原稿のことをあれこれと考えていたのである。
 原稿執筆部屋に籠りながらテレビを見ていること自体が、どうも、いい加減に見えそうだが、サッカーが大好きな私としては、こればかりは見逃すことができないのである。あ、今日もあるな。今度は、アジアカップ、日本代表VSヨルダン戦が。

 そう言えば、一昨日のレアルマドリードVSジェフ市原の試合も観戦したんだっけ(もちろん、テレビでね)。フィーゴのドリブルとボールさばきを見て、超一流の才能と普通の才能の違いを、しみじみと感じてしまったものである。しかし、天才フィーゴは、実は、努力のヒトであることも、私は知っているのである。天才が凡才以上の努力をするのだから、凡人がテキトーに努力をしただけでは、とうてい太刀打ちできるわけがない。
 にもかかわらず、ともすれば私たち凡人は、成功する天才を見て、
 「結局は生まれつきの才能と運なんだろ?」
 と、自分の努力のなさを棚に上げ、斜め45度の角度から物事を眺める、イヤミで嫉妬深い評論家になってしまいがちである。

 そうなのである。
 人が人に嫉妬心を抱き、あらぬ妄想を心の中で繰り広げ、他人を貶め、自己を正当化しようとする全ての原因は、結局は、自分自身にあるのである。
 自戒を込めて言いたいのであるが、人が何かを目的にしてそれを本当に成し遂げたい、実現させたいと願うのであれば、それを実現しようとする過程で何が起ころうとも、いまの自分を越えようとする、自らの克己心を研ぎすまさなければならない。そのように研ぎすまされた克己心から、はじめて、努力を越えた苦労を感じることのない行動力と自己研鑽力が生まれ、それが、目的や夢や願望を実現させる大きな力になるのだと、私は思っている。
 つまり、凡人が天才を越えるためには、自らの夢や目的を決して忘れない強い信念と、それを実現させようとする大きな情熱の継続が必要だということだ。
 ああ、なんだか私は、いまこれを書きながら、
 「もっと一生懸命やらんかい!」
 と、天才フィーゴに叱咤されているような気分になってしまった。

 いやいや。
 私はここで、天才フィーゴについて書きたいのではない。
 ちゃんと原稿は書いているのだよ(書きはじめているのだよ)、という、アリバイ証明をしたいわけでもない。
 では、何を言いたいのかと言うと、原稿書きに疲れてしまったので、ちょっとばかりバカ話を書き込んでしまいたくなっただけなのである。

 そろそろ、腹が減って来た。何か食べに行こう。
 何しろ、いまいるこの場所は自宅ではないので、奥さんの作ってくれる美味しい食事が出ないのである。あと2日ほどこの部屋に籠る予定なので、その間ずっと外食である。
 さて、何を食べようかな。


 そうそう、こんなサイトを見つけた。お手軽似顔絵作成が無料でできるサイトである。様々なパーツをWEB上で配置して、自由に似顔絵を作れるシステムだ。面白そうなので、やってみた。

 はい、こんなのができました。
b0004596_9175271.gif

 題して、「よからぬことをたくらむタカイチアラタ」です。
[PR]
by takaichiarata | 2004-07-31 11:22 | 自己啓発