イメトレ、自己啓発、エンターテインメントからギャンブルまで。


by takaichiarata
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

V.E.フランクルのロゴス

 V.E.フランクルの本を何冊か、久しぶりに読み返してみた。
 何度読んでも、深い感動を覚える。

 実存主義としてのフランクルの思想・哲学は、それが最も過酷で悲惨な生き地獄の中から生まれたものであるからこそ、なまじな思想・哲学を寄せつけない、圧倒的な存在感と共感、説得力を持つのだと思う。

 (ご存じの方も多いだろうが)V.E.フランクルは、元々はオーストリアの精神科医であった。ユダヤ人である。第二次世界大戦の時、ナチスドイツの「民族純潔主義」により、いわゆる「強制収容所」に送られたユダヤ人の数少ない生き残りである。一説によると、1945年に戦争が集結するまでに犠牲となったユダヤ人の数は、600万人と見積もられているそうだ(600人ではない。600万人である。東京都の人口の半分。但し、繰り返し行われた調査結果によると、もっと多い数字も出ている)。そのうちの約半数が、アウシュビッツで殺されたという。
 アウシュビッツ強制収容所。またの名を「死の収容所」。
 フランクルは、両親、弟、妻と共に、そこに送られた。
 そして、生きて戦争の終結を迎え、強制収容所を出ることができたのは、フランクルひとりであった。父も母も弟も、最愛の妻さえも、みんな死んでいた。フランクルがそれを知ったのは、自分が収容所から出た後である。
 父親は餓えで死に、母親は生きたまま焼かれて死に、弟は収容所内での強制労働中に死に、妻は、ガス室に送られて殺されていた。
 ウィーンに戻ったフランクルは、家族の運命を知らされ、友人の前で泣き崩れてこう言った。

「こんなにたくさんのことがいっぺんに起こって、これほどの試練を受けるのには、何か意味があるはずだよね。僕には感じられるんだ。あたかも何かが僕を待っている。何かが僕に期待している、何かが僕から求めている、僕は何かのために運命づけられているとしかいいようがないんだ」(『フランクル回想録』より)


 フランクルは、それ(試練と運命の意味)を絶望と苦悩の中で必死で追い求めた。そしてたどり着いたのが、

文字どおり無になった人は、まさに生まれ変わったように感じる。しかし、以前の自分に生まれ変わるのではなくて、もっと本質的な自分に生まれ変わる。(『それでも人生にイエスと言う』より)


 という内的な確信であった。
 そこから生み出されたのが、ロゴス(人間の本質的な精神の源)による人生の捉え方である。

「未来には、あなたによって生み出される何かが待っている。人生は、あなたがそれを生み出すことを期待しているのだ。もしもあなたがいなくなれば、その何かも、生まれることなく消えてしまうのである。人生は、あなたがそれを生み出すのを待っているのだ」(『夜と霧』より)


「そうだ。人生に期待するのは間違っているのだ。人生の方が私たちに期待しているのだ」(『夜と霧』より)


 これらの言葉に、フランクルが到達した内的な確信のエッセンスが込められていると思う。

 人は、人生に期待するから絶望する。しかし、人生に期待することを止めると、どんな結果であろうと人生で起こる出来事を受け入れる覚悟ができる。結果は問題にならない。それよりも大切なことは、自分の責任を果たそうと全力を尽くすことである。結果よりも生きる過程そのものノ行為そのものに意識を向けるようになる。
 そうすれば、たとえ途中で力尽きたとしても(たとえ事を成し遂げられず生を終えたとしても)、自らの心の中には、誇りに満ちた精神が残るであろう。そしてその誇りが、人生を有意義に「生きた」ものとするのであるノフランクルは、こう言うのである。

 とはいえ、人は誰だって困難や苦しみからは避けて生きたいと思う。
 フランクル自身、収容所内での最低最悪の地獄の中で、苦しみから逃れたいと願っていた。人の死が日常に転がっている場所でただ生きている毎日の中で、絶望以外の感情を感じることができなかった。
 しかし、そのような中でも、「自分が餓えで苦しんでいるにも関わらず、もっと弱っている他人に配給された小さなパンの切れ端を分け与えたり、死にかけている仲間に最後の幸福感を味わってもらおうと、自分のパンを売り、ジャガイモを買ってその仲間に食べさせたりする人がいた」(同じアウシュビッツに収容されていたルーシー・アデルスバーガーの回想)りするのを見て、フランクルは、人間のロゴスの根本は「勇気、希望、信頼、愛」であることを悟るのである。

 どんな場所でも、どんな環境でも、心の中に「勇気、希望、信頼、愛」を持ち続ける人間がいる。かと思えば、「自分が生き残るためには他人なんか知ったこっちゃない」と考え、他人を貶めても、蹴落としても、自分だけが生き残りたいと願い、そう実際に振る舞う人間もいる。フランクルは、収容所の中でその両者を見て、こう考えるのであった。

「この地上には2つの人種しかいない。品位ある人種とそうでない人種である」(『夜と霧』より)


 長々とフランクルの言葉と思想を紹介してみたが、こうやって改めて書き出してみると、いかなる環境であろうと、偉大な魂は必ずそこにあるものだと、つくづく思ってしまう。
 そして、下世話で下品な魂の持ち主である私なんか、フランクルのような精神に、ただひたすら憧れるだけなのであった。私がよく言う「志と品格」を体現した現実の人間がここにいることに、私は畏敬の念を覚えるのである。

 蛇足。
 フランクルは、どうやら収容所の中でイメトレめいたことをやっていたようだ。『夜と霧』の中に、こんな記述がある。

「突然、私は明るく照らされた、美しくて暖かい大きな講演会場の演壇に立っていた。前にはゆったりしたクッションの椅子に腰掛けながら、興味深く耳を傾けている聴衆がいた。私は語り、強制収容所の心理学について講演をしたのだった」(『夜と霧』より)


 このイメージは、強制収容所から解放されてまもなく、現実のものとなっている。
 恐るべし、イメトレ!(←こう何でもかんでも私の分野に結びつけてしまうことが、私の魂、精神の下劣さを現している)


 何だか、フランクルの思想と哲学をちょっと真面目に紹介したくなって、こんな文章を書いちゃった。お待ちかねの「赤坂のホラー話」は、次回。
[PR]
by takaichiarata | 2004-10-08 11:48 | コラム