イメトレ、自己啓発、エンターテインメントからギャンブルまで。


by takaichiarata
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午前4時のイメトレ話・後編(本当に解決編?)

 お待たせしました。今度こそ本当に解決編…いや、解答編といきましょう。


 私は当時20代の中頃で、映像演出家(ディレクター)としては、まだほんの駆け出しでしかなかった。
 これは、私の著作1日7分間願望実現イメージトレーニングの中でエピソードのひとつとして語っているが、私がはじめてCMディレクターとして独り立ちした時、最初に手掛けたCMのコンテを、クライアントから2か月半、NGを出され続けた。その間、私は、全部で200個以上のコンテのアイデアを提出したのであった。よく投げ出さなかったと思うが、実は、この時の経験が、私に、ものを作る人間、あるいは、何かを表現する人間としての考え方の基礎を作ってくれたのである。

 少し脇道にそれるけど(ゴメンね。はやく結論を知りたいだろうが、ちょっとつき合ってね)、何かを表現し、それを不特定多数の人間の前に出していく作業というのは、最終的には、個人の考えやイメージ、あるいは、内面そのものを、いかに普遍性を持たせながら印象づけて作っていけるか、という、いわば、表現の方法論の問題になってくるものだと思う。
 自分の主義主張や個人の主観的なテーマをダイレクトに提示し、なおかつ、それがそのまま多くの人に受け入れられるのは、ほとんど奇跡に近い才能の持ち主(つまり天才)以外、あり得ないのである。
 私がCMという世界で、ある商品素材を表現する時に、あるいは、映像制作の現場で何かを表現する時に、私の視点ではなく、お客さまの視点…その商品CMや映像作品を目にする視聴者の視点から、表現方法を考えなければならないわけだ。最初の(鬼のような^^;)クライアントは、私にこのことを教えたかったのである。そのために、私が自分の力でそれに気づくまで、延々とダメ出しをし続けたのであった。
 そして、これは、どの分野でも同じことだと、いま私は思う。
 たまさかの僥倖に恵まれ、私は、現在、本を書いている。しかも、こんなに締め切りを守らない人間に(^^;)、引きも切らず、いろんな出版社から書き下ろし本の執筆依頼が来る。これは、私が本を書く才能に恵まれているからではなく、単純に、私が常に、読者の視点から本を書こうとしていることによる結果だと、思っている。私が読者だったら、どのような内容と構成のものを面白がるだろうか、と、妥協することなく考え続けながら、書いている結果によるものなのである。

 何を言いたいのかと言うと、あるひとつの目的のためには(この場合は本を書いたりCMを作ったりということ)妥協してはいけない、ということだ。

 これは、表現することだけについて、言っているのではない。

 何か、人生に目的があって、それを自らの生きる過程で手に入れたいと本気で望むのであれば、その目的に向かう途中で、安易な妥協をしてはいけない。自分にウソをついて甘やかし楽な道を歩んでいては、決して目的地に到達しない、ということだ。
 別の言い方をすれば、例え現時点で、その目的に到達するのが遠いことだと認識したとしても、現時点の自分が、最大限に出来ることを行い、なおかつ、常に目標に対する真摯な情熱と信念を持ち続けることで、昨日の記事の中でも書いた、「自己の可能性の到達点」が広がって行く。
 つまり、自己イメージが高まり、ある願望を実現するための能力が養われる、ということを言いたいのである。

 さて、やっと本題に戻れそうだ。

 その当時の私は、まだまだ駆け出しの若造であったにも関わらず、プロフェッショナルの表現者としてのあり方を、否応なく、叩き込まれた人間であった。
 これが、伏線になる。

 私は、金銭トラブルに巻き込まれた当初は、混乱していた。
 何故、私がこんな目に合わなければならないのか?
 と、トラブルそのものとその原因を作った相手に、恨みにも似た気持ちを持っていた。やがて私は、何とか解決したい、いや、解決しなければならないと、強迫観念のように、思い詰め、精神的にもがき続けていたのであった。
 しかし、私がもがけばもがくほど、どうしても解決のための方法が見つからず、そればかりか、現状はどんどん悪化して行くばかりだった。
 仕事にも集中出来ず、心身共に疲れ果てていた。
 そして私は、突然、こう思った。
 「命までは取られないだろう。まあ、なるようになるさ」
 つまり、私は、苦しい現状に疲れてしまい、開き直ったのである。
 そんな時、電車に乗り、うつらうつらとしながら、それでも無意識の中で、金銭トラブルの解決のことを考えていたのだが、その時、私は、金銭トラブルそのものについて考えていたのではなく、これが解決した時にはどれだけ気分がすっきりするだろうか、という感情の想像に思いを馳せていたのであった。

 もう、分かりますね。

1、自我1による「解決したい。解決しなければならない」という強迫観念が、電車の中の心地よい揺れによるまどろみで消え、自我2による「解決した時の感情の記憶」を思い描こうとしたこと。
2、当時の私は、若い小僧だったにも関わらず、仕事に対しては(最初に)厳しく鍛え上げられていたことで、プロとしての心意気があったため、周囲からの評価をある程度受けていたこと。
3、自我1によるもがきではあれ、解決したいと本気で願い、そのための行動を、思い付くかぎり取っていたこと。
4、それが万策尽き果てた時、開き直りの心が生まれ、いわば、解決という願望に対する執着心がなくなったこと。


 これらが複合した時、最初に書いた意味のある偶然(シンクロニシティ)が起こったのだろう。たぶん、そうだろうと思う。

 もっと分かりやすく言うと、

1、願望が実現した時の感情だけを強くイメージしたことで、自我2が適切に働きはじめた。
2、日常生活で、仕事に対して真摯な態度を取り続けていたことで、願望を実現するひとつの手段…すなわち能力を手に入れていた。
3、考え、行動し続けることで、問題解決への信念が養われた。
4、開き直ったことで、執着心がなくなった。


 こういうことになる。

 後だしじゃんけんのように、かなり後になってこの時のことを思い出し、私はこれを大雑把に体系化し、自分自身でいろいろな場面に応用してみたのだが、確かにこれは、目的や願望を実現するためには、効果がある。つぼにはまれば、絶大な効果を得られる。
 しかし、この4つのコツ(感情のイメージ、能力と手段の獲得、信念の養成、執着心をなくすこと)を自然に働かせるためには、ある程度の前提条件が必要なことにも、私は気がついてしまったのである。

 その前提条件とは、…(ここで「つづく」なんてやったら、怒られるだろうなあ。でも、次回「番外編」につづく^^;)
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by takaichiarata | 2004-08-05 04:40 | イメージトレーニング